忘れられない言葉
私が一年間ボランティアをきっかけに3年間住んだ高知県を一旦離れ、実家のある神奈川県の川崎市にある知的障碍者の作業所で指導員をしていた時のこと。
そこはダウン症や自閉症など様々な知的障碍のある18歳以上の成人メンバーが通い、自主製品としての染め物(ハンカチやストール)、スパイクの中敷きの包装作業など企業からの下請け作業をしていた。
私は先輩指導員と一緒に、主にハンカチのビー玉染をメンバーとしていた。内心「面白くないな」と思いながら(笑)
ある日、とある二十歳そこそこの女性メンバーが作業を途中で放り投げて泣き叫びうずくまって動かなくなることがあった。
聞くと作業が楽しくない、もうやりたくないとのこと。
この女性メンバーはいつも明るく振舞っており、頑張り屋だが、うまくいかなくなるとイライラしたり、気持ちが折れやすい一面があった。
その時に、ある同僚指導員が彼女に言った言葉。
「みんな嫌なことも我慢してやっているの!それが社会人として生きるということなのよ!甘えないで、早く作業に戻りなさい!」
・・・当時の私には、強烈な違和感のある言葉だった。
確かにそうかもしれない。それはある意味しごく真っ当な正論だろう。
どんなに好きな仕事であったとしても、中には嫌なこともある。
でも、彼女には選択の自由というものはないのだろうか。
もっと彼女にあった、彼女に適した仕事が世の中にはあるかもしれない。
でも現実は、作業所の中のほんの2、3の選択肢の中から選ぶしかできない。
その作業が自分にあってないとわかっていて、それをずっと続けないといけないなんて、ただの地獄じゃないか。
そう思ったのだ。
かといって、当時の私にそこまでの力も、他の作業を開発するだけの情熱もノウハウもなく、ただ「それはおかしいんじゃないか?」と思っただけだった。
この、川崎で仕事していた頃は海外に出ていきたい気持ちがどんどん膨らんでいってた時。その話はまた次回に書きますね。